この業界で働いていてよかった! と感じるのはどういうときですか?

折を見て追加・修正していきます。
2015年10月7日改訂

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この業界で働いていてよかった! と感じるのはどういうときですか?

「さまざまな世界を体験できたとき」「自分がこの世に生きた証拠を残せた事を実感できたとき」です。
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○わざわざこの文章にたどり着いていただき、ありがとうございます。
私、ひるま克治がなぜ上記の問いに対してこの答に至ったか、
その理由について記しておきたいと思います。

○「さまざまな世界を体験できたとき」
私がCGを志した頃、考えた動機の一つがこれでした。
「CGをを作れば、その中であらゆる職業・いろんな世界が体験できるのではないか?」
実際にやってみて、ある意味事実でした。
CGはあくまで映像表現の手段でしかないので、必ず題材が必要です。
その題材をどれだけ奥深く理解するかによって、できてくる画像・映像には違いが出てきます。
例えばモデリングだけでも形状の理解度によって、出来栄えに違いが出ます。
このように、CGの仕事をしっかりやるには、
その題材となるものを知り尽くさなければならないために、
関わる世界を深く垣間見ることができるのです。

・こんな事がありました。
私の記憶では1993年、ポリゴン・ピクチュアズに在籍していた頃、
NHKのスペシャル番組の仕事で、初期人類の骨のモデリングと歩くアニメーションの制作、
そしてカット制作全般に参加しました。人体、チンパンジー、
初期人類(アウストラロピテクス・アファレンシス)の骸骨の本物やレプリカが次々とやってきて、
それを3次元デジタイザ(自動で一瞬で撮るようなものではなく、
スタイラスペンをひたすら当てて一つづつ点群をとってゆくタイプ)でモデリングして行くのです。

毎日夜中まで骸骨に囲まれて制作を続けているうちに、骨そのものに詳しくなっていきました。
そして猿と初期人類と人類の骨の形状の違いのポイントについて語れるような、
ちょっとしたマニアになっていったのです。
顎の骨の資料がいつまで経っても来ない事に業を煮やした私は、
資料集めに独自に動きました。
国立科学博物館の馬場悠男先生に直接電話をかけるという暴挙にまで出たのです!
アウストラロピテクス・アファレンシスの頭骨レプリカの写真を撮らせていただき、
また先生は、突然やってきた若造の私に対して、初期人類の歩き方について丁寧に教えてくださいました。
その知識・経験は作品の科学的根拠を高めるのに役立ったはずです。

・こんな事がありました。
200X年、フリーランスとしてCG制作を仕事にしていた私に
フジテレビ「F1グランプリ中継」のオープニングタイトルCG映像の
制作(とあるチームの1台分の映像制作)の仕事が舞い込んできました。
当時F1のファンだった私は2つ返事で請けてしまい、
「昼はCGプロダクションで別件のアニメ映画制作、夜は自分の仕事場でF1の仕事」という生活を
3週間ほど続けました。
緊張と楽しさで体にはきつく、実際に痩せましたが楽しく全力でやりきりました。
そのシーズンのF1中継を見るたびに自分の関わったCGが流れ、
「もっとこうすれば良かった」という思いもありましたが満足感の方がずっと大きかったのを覚えています。

その年のシーズンの終わり。

鈴鹿サーキットに日本グランプリを見に行き、
スタンドに座った私の前を、
そのマシンがCGではなく実体となって爆音を響かせ走り抜けるのです!
それを見ているだけでも至福なのですが、
その場でそのF1マシンとドライバーに歓声をあげている
約15万人の人々は、まず間違いなく全員、私のCGの入ったF1中継を
テレビで観てきた人々なのは間違いありません。

それを思うと私はコースよりも後ろの観客達に向かって雄叫びを上げたい気持ちになりました。
そのときのビールの旨かったこと!
おかわりをどれだけしたことか、、、

これほどの達成感と満足感を味わえた事、「この業界にいて良かった」と思える、スーパードライな瞬間でした。

初期人類も、F1も、宇宙も、アニメも、専門分野に行けば学ぶことができます。
しかし、バーチャルという条件はありますが、その世界のすべてを専門的に覗くことができるのは、
CG業界の特権なのではないでしょうか。

そんなさまざまな世界を垣間見ているとき、
またその道のすごい人々と直接話ができたとき、
「この業界で良かった!」と思うのです。


○「自分がこの世に生きた証拠を残せた事を実感できたとき」

個人的な予想ですが、上記の問いについての答えについて大体の人は
「スタッフロールに自分の名前が乗っているのを見たとき」「どこかで仕事が発表されたとき」
「友人知人に仕事を誉められた時」のような答えではないかと予想します。

なぜそういう時に嬉しいかというと、
人は「人生で何かを遺せた」と言うことを実感できることで喜びを感じ、
だからこそ嬉しいのではないでしょうか。

人は必ず死にます。子供を作るつまり遺伝子を残す行為もそうですが
「何かを後世に遺したい」というのは人間の根元的な欲求だと思います。

これも私がCGを志した頃、考えた動機の一つです。
当時の私は
「将来人類が滅亡し、何万年も経って東京が砂に埋もれるような遺跡になったとき、
もし宇宙人がやってきて、そこにいた人類の築いた文明を知ろうとした時に、
レーザーディスク(古いですがw)とプレーヤーを発掘して、もし宇宙人が
何かの映像を見ることになったとき、そこに自分が少しでも関わった映像があったらいいな、、」という、
中二病全開な妄想を持っていました。
なぜかというとレーザーディスクは当時「テープと違い、いつまでも残る」という特徴を
持っているメディアであると喧伝されていたためです。
レーザーディスク自体がすでに遺跡になってしまいましたがw、、、

映画を作る・CMを作る・何かの映像を作る等の仕事はそのまま、世界に何かを残すことに
繋がります。

こんな事がありました。

2007年頃、群馬県立自然史博物館に子供たちと行ったときのことです。
初期人類の頭蓋骨などが展示されているコーナーがあり、
興味を持ち続けている私は当然見に行きました。
子供達に「頑丈型のアウストラロピテクスと華奢型のアウストラロピテクスの違いや、
骨盤の構造の違いについて説明してやろうw」などと思っていた私は、目を疑いました。
そこで流れていたCG映像は、まさに十数年前に私が関わったCG映像、そのものだったのです!
「こんなところでも使われていたのか、、、」
驚いたと同時に、CGの仕事はどこかに残る場合がある、ということを実感しました。
2015年の今でも使われているのかもしれません。

それだけではありません。
他にも「いまでもアレ、使われてるの!?」と思った仕事はあります。
また、映画などの仕事をすれば、それは(レーザーディスクではなくw)DVDなどのメディアに必ず残り、
ネットにも残り続けるでしょう。

すると、「あの映画のあのシーンのCG、関わったの自分なのよ」と言うことができます。
そうすると「あ、アレ見たことある!」なんていう反応も返ってきたりすることがあります。

そんな事件に出くわしてしまう、つまり、
「自分がこの世に生きた証拠を残せた事を実感できた」とき、私は
「この業界で良かった!」と思うのです。

そう考えると、、

「中途半端なものを作ると、後悔することになる」と思えませんか。
もし半端な仕事をした場合、その時の理由はいろいろとあるでしょうが、
その映像はいつまでも嘲笑を浴びることになってしまいます。
そして自分の後悔はいつまでも自分を苦しめるのです。

だから、私は仕事をがんばります。

私はCG屋です。

CG屋はCGが好きなのです。

好きなCGで仕事ができること。
それで何かを残せること。
これってかなり、幸せな人生なのではないでしょうか。

私はいずれ死ぬでしょうが、
その時に「何かを遺せた」「何かをやりきった」という思いが自分の中にあれば、
私は「死」というものが怖くなくなります。

それがいつ訪れようと、

笑ってこの世にサヨナラすることができるはずです。